クルマで登れるお城あと
真田山城跡(真田本城)
真田本城跡は、菅平につながる144号線から見るのが一番迫力がある。
菅平から真田に下る時にも、また真田から菅平に登る時も、否応無しに目に入り、上州と東信濃を結ぶ街道に、シッカリとにらみを効かせている。


144号線より本城を見る


144号線菅平方面からの眺め

平時はふもとのお屋敷に起居し、事があればこの山城に駆け登って戦おうという位置関係にあるが、そこでの戦いの歴史は記録されていない。

本原のお屋敷公園を出て、すぐ上を走る県道真田東部線(旧菅平有料道路)に出る。これを東部町方向に向かって少し走ると、十林寺地区に(真田本城跡入り口)の表示が見える。

この本城入り口の細い道を民家を縫って車で登って行くと、リンゴ畑の上の真田本城跡へと到着する。この本城跡は、真田に沢山ある山城の中で、唯一車で簡単に登れる貴重なスポットなので、是非足を運んでいただきたい。


三の郭からの眺めは抜群



本城からお屋敷方面を望む       
画面右の張り出した峯は、米山城と砥石城

この規模の大きな山城は、真田氏が上田城を築くまえの本城といわれていて、自然の地形を巧みに利用し、また水利も豊富に確保され、幾重もの郭から構成される。

山城の遺構をつぶさに観察しようとすると、木の葉が落ちてしまった晩冬から新緑の前までの期間が最適といえる。

本城跡に立って目の前に開ける真田の里を見下ろしたとき、真田幸隆や昌幸がこの場所に立って、何を考え、何を決意したか容易に想像がつき、歴史を我が物としてこれを眺めることが出来る。

それは、目の前にそびえる東太郎山からずっと張り出した峯に築かれた、米山城・砥石城の一連の連珠砦と呼ばれる山城郡である。

かつて真田氏が武田軍の騎下に活躍していた時、これらの山城群は千曲川流域に勢力を有した村上義清の支配下にあり、坂城の虚空蔵山から太郎山、東太郎山、砥石城、米山城と目の前に巨大な壁を築かれたようなものであり、必ず対決しなければならない相手を毎日歯噛みをして見ていた事になる。

あの戦力に勝った武田軍ですら、長い間これらを攻め落とす事が出来なかったばかりでなく、攻め切れずに軍を撤収しようとした時、逆に砥石城から追撃をかけられ、後に“砥石クズレ”といわれる大敗北を喫した地でもある。

しかし驚嘆すべきは、真田幸隆が翌年、独力で砥石城を調略し、一夜にしてこれを落城せしめている事である。
神川の用水が開鑿される前は、神川、洗馬川、傍陽川の流域が真田の米倉であった。

神川流域の美田地帯

追 記
この山城(砦)は更埴市の上山田にある荒砥城跡に復元されたものであるが、当時の真田本城もこのような構えであったと言われている。

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