太閤びいきの風土大坂がうんだ十勇士

     関西では、がいして太閤秀吉をひいきに、関東=家康を嫌う土壌があります。そうした土壌を背景に、江戸元禄期の頃に歴史小説『真田三代記』が成立しました。
     この『真田三代記』では十勇士中、猿飛佐助と望月六郎をのぞいた八勇士が登場。十勇士の原型とみられる武将名が記され、のちの真田もの講談の流布とともに真田人気の源流となっています。
     語りつがれた幸村伝説と彼ををとりまく十勇士の顔ぶれは時代を下って確定しました。それは、明治末から大正初期にかけて少年たちを席巻した
    『立川文庫』からです。当時のこどもたちは、現代っ子がテレビやファミコンに夢中になるように、活劇の世界にのめり込んでいったようです。そして十勇士の活躍は今も語り継がれています。


    ●十勇士プロフィール
     リニューアルにともない、杉浦茂先生の十勇士の面々が、総天然色(カラー)化されました。ますます親しみやすいキャラクターの登場です。

    ●猿飛佐助(さるとび・さすけ)
     猿飛佐助は信州鳥居峠の麓(真田町)に住む郷士鷲尾佐太夫の息子で、いつも山中で猿と遊び暮らすうちに甲賀流忍術の大名人戸沢白雲斎に見出され、3年間みっちりその道を教えられ、免許皆伝の腕前。15歳の時、たまたま鳥居峠に猪狩りに来た幸村に見出され、家来となって猿飛佐助幸吉の名を与えられました。巻物をくわえ、手で印を結べばたちまちドロンと姿が消え、豪傑や家康の家来たちをケチョンケチョンにしてしまう痛快なヒーローです。
     幸村が九度山に蟄居されると、佐助は諸国漫遊の旅に出て天下の情勢を探り幸村に報告しました。その際の三好清海入道との珍妙な道中は講談や漫画で人気を博しました。

    (c)杉浦茂

    ●霧隠才蔵(きりがくれ・さいぞう)

    (c)杉浦茂
     伊賀流忍術の達人。浅井長政の侍大将霧隠弾正左衛門の遺児で、浅井滅亡の時はまだ2歳、郎党に抱かれて伊賀名張に隠される。17歳、伊賀流忍術の名人百々地三太夫に忍術の極意を授けられ、元服して才蔵宗連と名乗ります。猿飛佐助と出会って忍術比べとなり、才蔵が負け、兄弟分となり真田幸村のもとに来ます。佐助とは甲賀と伊賀と異なりますが、二人は仲が良く、協力して徳川方を痛めつけたり、諸国遍歴で活躍します。華麗な容姿で神出鬼没の活躍をするニヒルなナイスガイです。

    ●穴山小助(あなやま・こすけ)

    (c)杉浦茂
     武田家の家臣の出で、武田家滅亡後、父と共に戦場を渡り歩きました。やがて真田家の家臣となり、幸村に見出され十勇士の一人となります。幸村が九度山にいた間は姫路で漢方医を開業しながら天下の形勢を探り、夏の陣では幸村の影武者として家康の本陣に切り込み、壮絶な戦死を遂げます。槍の名人。

    ●海野六郎(うんの・ろくろう)

    (c)杉浦茂
     真田氏は清和源氏を祖とする滋野三家(海野・禰津・望月)の一つ海野氏の分かれといわれています。真田氏は没落した本家筋の人々を多く家臣としています。海野六郎もその一人で、十勇士中の最古参であり、幸村の頼りになる右腕でした。九度山の配所では差配役として働いた名参謀でした。

    ●筧十蔵(かけい・じゅうぞう)

    (c)杉浦茂
     十蔵の出身についてはいろいろな説があります。ひとつは、幸村の7人の小姓の中の一人筧十兵衛の子で、父の言を守って十勇士の結束に力を尽くしたというもので、もうひとつは、蜂須賀家の家臣であったが、蜂須賀家に身を寄せた幸村に心をひかれて臣下となった、という説などです。種子島銃をいつも持っていて大変な腕前だったと伝えられ、また、力も強かったとされています。

    ●根津甚八(ねづ・じんぱち)

    (c)杉浦茂
     根津の姓は真田の本家、滋野三家の一つです。信州に生まれ、大和絵師の父と共に旅に出て、死別の後、海賊に身を投じていたところ、秀吉の命令で九鬼水軍を探索していた幸村に見出されて十勇士の一員になりました。由利鎌之助とは喧嘩友達とか。夏の陣では幸村の影武者として活躍、家康襲撃のチャンスをつくっています。

    ●三好清海入道(みよし・せいかいにゅうどう)

    (c)杉浦茂
     出羽国亀田の城主の子という由緒正しい生まれで、早くに父を亡くし、幼くして城主になります。18歳の時、落城の憂き目に遭い、弟伊三入道と共に母方の縁故を頼って昌幸のもとに身を寄せ、幸村に仕えます。佐助や才蔵たちとの諸国漫遊の珍道中の相方としておなじみです。18貫の鉄棒をふるい、牛馬を軽々と持ち上げたり、松の木を引き抜いたりする怪力ぶりは、活劇の名脇役です。単純で一本気な性格で、馬鹿力は強いが、大食い、大酒飲み、好色、お人好しで、いつも佐助の厄介になる、愛すべき引き立て役です。夏の陣では、壮烈な戦死をとげます。

    ●三好伊三入道(みよし・いさにゅうどう)

    (c)杉浦茂
     地味な存在ながら、その勇猛さは兄清海入道にも優るとも劣らないと言われます。夏の陣では二代将軍秀忠に迫る活躍をしますが果たせず、壮絶な死を迎えています。その死が謎に包まれている十勇士の中で、ただ一人辞世の句を残しています。
      落ち行けば地獄の釜を踏み破り

          あほう羅刹(らせつ)の事をなさん


    ●望月六郎(もちづき・ろくろう)

    (c)杉浦茂
     根津家も真田の本家、滋野三家の一つです。幸村譜代の家臣です。派手な活躍はなく、十勇士中最も正体が不明ですが、幸村にいつも影のように寄り添っていました。九度山蟄居中は、幸村と生活を共にし、火薬の知識を活かして張抜筒や爆弾の製造にあたりました。夏の陣では、幸村の影武者として家康の本陣に斬りかかり、徳川勢を翻弄しました。

    ●由利鎌之助(ゆり・かまのすけ)

    (c)杉浦茂
     鎖鎌と槍の名手として名高く、鈴鹿山中で山賊をしていたところ、三好兄弟と力比べをして意気投合。後に伊三入道と共に幸村の傘下に入ります。幸村が九度山へ配流後は、江戸で槍の道場を開いて家康の動きを探ります。根津甚八とは喧嘩仲間で、共に大阪の陣で縦横無尽の活躍をします。