Mystery 1 戦国を生きた知将三代

乱世を生き抜いた一族の智恵

 
いわゆる真田三代の智謀の将が、戦国の覇者・武田信玄―織田信長―豊臣秀吉―徳川家康らの間で、信州の地域領主ながら智恵で伍し、戦国の世を生き延びることができたのは何故でしょうか?

 真田一族は周囲の強国や天下人と堂々とわたりあい、興亡を繰り返しますが、結果的には、幸村の兄・信幸(信之)が真田家を存続させて徳川300年、そして明治を経て現代 につながります。
 まさに「不思議なる弓取り」と謳われた三代のルーツがここにあります。そして、それを生み出した風土が真田町にあるのです。
武田家の滅亡が真田500年を築いた

 真田家二代目の昌幸は、初代幸隆の三男で人質として武田信玄のもとにおくられていました。家督は長男信綱が継ぎ、昌幸は信玄の旗本武藤家の養子として武田二十四将のうちの武藤喜兵衛となっていました。

 ところが長男の信綱・次男昌輝が長篠の合戦であいついで亡くなったので、昌幸は武藤家から真田家にもどり二代目を継いだのです。

 長篠の合戦の大敗のあと武田家は衰えはじめ、滅亡しますが、いわば、武田家滅亡の因となった長篠の合戦で、長男信綱らが討死したために並外れて知略に秀でた昌幸が真田家二代目をつぎ、結果、三代幸村、そして徳川の世に存続させた信之に真田家をバトンタッチしたといえます。


真田三代

 ふつう真田三代といえば、真田氏中興の祖真田幸隆(幸綱)―昌幸―幸村(信繁)をさします。アンチ関東方(徳川家康)の色彩が強い講談『真田三代』では、昌幸・幸村・大助のことで、猿飛佐助や霧隠才蔵などの十勇士と共に大活躍しています。(このホームページでは便宜的に幸隆を初代と呼び、続いて二代、三代としています)

 真田三代の活躍は、真田一族として戦国・安土桃山時代と生き抜いた姿を描写したものが多く、特に、昌幸・幸村が徳川家康の天下統一期にあって最後まで徹底抗戦を挑み、悲劇の武将として散っていったことのみが特筆され、一般的にもこうした戦記物が好まれました。

 実際には初代幸隆の開いた道を、昌幸が一代で大名化の基盤を確立し、嫡男の信幸(信之) がその事業を継承し、江戸幕藩体制の中につなぐ役割を果たしました。

戦国の知恵者・真田三代
真田家系図
真田幸隆像(願行寺蔵)
真田昌幸像(長野市松代町 真田宝物館蔵)
真田幸村像(個人蔵)



根強い人気の戦国ものに真田一族が登場・活躍

 天下布武を唱えた信長の最大のライバルで、戦国最強の騎馬軍団武田氏の有力な武将だった真田一族は、波乱万丈戦国史の局面に必ず登場しています。
 真田一族の興亡は作家や史家の興味を惹き、講談や小説など数多くの書物にその名を残していて、現在も私たちに影響を及ぼしています。

 学校の歴史の時間は退屈という人も、こと歴史シミュレーションゲームの世界では歴史ロマンにはまっている人も多いはず。
 人気ソフトの「太閤立志伝」「信長の野望-天翔記」「信長の野望-覇王伝」「信長の野望-リターンズ」「信長の野望-将星録」など、一連の戦国ものに武田&真田一族の登場するゲームソフトは人気がありファンも多いようです。

ゲームソフトメーカーKOEIのホームページへリンク



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