真田三代の活躍の軌跡(城郭編1)

砥石(米山)城
 砥石城(米山城)は、初代真田幸隆が武田信玄麾下の先兵として攻略した「砥石くずれ」で有名ですが、その歴史的な解説は別に行うとして、その登山記をご紹介します。

 144号線の伊勢山地区に砥石城への登り口が表示されています。

 楽をして、行けるところまで車で行く。 これ以上車は入れない所で車を置いて、あとはひたすら登山!

  遠眼にすぐに登れるだろう、 と思った山城がとてつもなく遠く、きつい ! しかも道に迷って崖のような斜面に出てしまう。(キチンと整備された登山道の存在を、後で知りました)

 潅木や草の根を掴みながら、やっと這い登る。これは、遭難するかな?と思えるくらいの斜面、(喉はカラカラ、膝はがくがく、汗はぼたぼた!)あ、これは杉浦茂先生の漫画の一節・・・  ようやっと、米山城の砦の跡にたどり着く。 素晴らしく眺めが良い! 上田盆地を一望しながら ほっと一息をつき、当時に思いをはせる。

 戦国時代、城攻めの時は、このようにしてとんでもない斜面を、苦難(たぶん、もっと障害物を作っていた筈)を乗り越え、貧弱な兜を被った雑兵達が、槍を手に、上から石や材木、はては熱湯から糞尿? までも浴びせられながら命をかけて登っていったのは、一体何のためなんだろう? 運良く頂上にたどり着けても待っているのは、レイを持って迎えにきた美女ではなく、槍ぶすまや、白刃であって生き残る可能性は決して高くない。当時は、兵農分離ができていない時期なので、ほとんど付近の農民だと思われる雑兵が、そこまで命を懸けるのは単に恩賞の為なのか?(5年分の年収を約束されても、やりますか?)忠誠心 ?(支配者はコロコロ替わる)なのか、そのモチベーションが先ずMYSTERY!


米山城伝説
 どの時の戦かは確かでないのですが、周囲を囲まれて篭城したとき、米は豊富にあったのですが、水がない。

 篭城の側では、水に困っていることを敵兵に知られないため、わざわざ敵兵の見えるところに馬を牽いていって馬の背に桶から米を水のように浴びせて、優位を誇示したと言われています。

 しかし、城は焼けて落ち、その時の米が炭化したらしく、それを今でも拾って来る人がいます。(博物館にはキチンと展示されています)

 しかし、前述のようにとんでもない山城にホントに馬がのぼったのでしょうか?

 馬の有効性なんかあったのだろうか?武将が乗っても、どうするのだろう?荷駄なら理解できるのですが・・・これはホントのMYSTERY!


砥石城伝説
 国土地理院の1/25000の地図で見ても、米山城があっても砥石城の記載がありません。

 また、別の観光地図を見ると、砥石城があっても米山城が見つからないのです!

 と言うことは、同じ山城を、何かの都合で 米山城・砥石城と呼んでいるのかな? と推測していました。が・・

 警察ではないのですが、現場検証の大切さを感じました!!

 米山城の尾根伝いに250mくらい歩くと、有りました!  砥石城が、しかも規模がでかい! 幅は数十メートルながら長さは600mはあろうかと言う立派な台地がありました! 井戸のようなものもありました。  

 しかも、砥石城遺構と、旧馬場と称する2・300Mのなだらかな地形に結ばれた、本城、枡形城、の城址の存在をつぶさに見てきました。(でも、ここに沢山兵を集めていても、イザと言う時、はるか下まで攻め降りることが出来るのだろうか? 菅平の大松山からスキーで滑降しても、へろへろになるのに、徒歩で山から攻め下りたへろへろ軍団が強いのだろうか???)MYSTERYでしょ?

砥石城より信越自動車道のローマン橋を望む    


岩櫃城 上田城