真田三代の活躍の軌跡(城郭編2)

要衝の地、岩櫃(いわびつ)
 真田三代のファンでも、岩櫃の城の位置を正確に言える人は少ないのではないでしょうかか?

群馬県吾妻町、と言ってもピントは来ないと思うのです。 今は、都道府県の行政単位でしか情報が流れないので、真田と吾妻のつながりを気に留める人がどのくらい有るのでしょう?

 地図すら県境で終わってしまっていますから。しかし、その県境の峠は本当に人の気持ちを区切ってしまうのでしょうか?
 144号線(真田街道 参照)鳥居峠から30余キロ、群馬県吾妻町は、岩櫃の城を除いて、全く真田と無関係に繁栄をしているように御見受けしました。

 街道を一寸外れたところに、大きなお城の岩櫃城の公営の大温泉を建造し、真田温泉のように、繁盛していました。 しかし、その楽しげな御風呂にも入らずに背を向けて、行ってきました 岩櫃の城!

吾妻街道から外れて、かなりの急坂をゆるゆると車で登る楽しみは、見事に色付きたる紅葉、たわわに実りたる柿の実、モヤのたちたるたる肥沃の黒土の畑。

 突然出会った本格的ハイカー装備の一団の下山。

 のどかな山道での 車の進入を咎められたような気がして、おそるおそる、リーダーに問い合わせると、革靴・背広でなんぞで岩櫃城なんてトンでもない! と一喝されてスゴスゴと写真をとっての下山でした。


 MYSTERY
 街道から、そう遠くはないのですが、もし街道を完全装備の軍団が粛々と通過したとしたならば、転げ落ちるしか出来ないような遠くの山城の兵の力の(街道制圧のために、攻め下る)パワーなんて存在するのだるうか?

 崖を転がり落ちて、兜はぐちゃぐちゃ、だが、ひざをすりむくぐらいも何のその。しかし・・槍や、刀なんか、崖を転げ落ちたら危なくってしょうがない!
 その地に立って、岩櫃の城を仰ぎ見ると、 実は ” 街道通過に何の支障も無くても、この城を横目で見て通るおまえ達は臆病者か! と言うそしり” に挑発されて合戦するような約束事が有ったのかも知れないデス。
 この 真田街道=吾妻街道=144号線 は、ホントに最高の美しい街道なのですが、吾妻渓谷あたりは、左右の岩山が険しく迫り、吾妻川は谷を食み、ようやく穿ちたる細い144号と、危うい JR の単線。(当時の馬なんぞどこを通ったのだろう)
 そんな渓谷をどのようにして、数十キロ先の岩櫃と往来したことだろうか?
 驚くべきは、たった数万石の小大名が、東西100kmを超える領土を支配した機動力にも驚き!


砥石城 上田城