家族でにぎわう"なめり峠"付近





峰の原の頂上付近(*なめり峠?)からは菅平高原全体を見渡せるので、重い荷駄を引きつれた往時の人足たちもホットしたことでしょう。

しかし道は菅平高原の盆地の脇を素通りするかのように、根子岳、四阿山の裾を回って鳥居峠へと向かいます。


おそらく当時、菅平高原は開墾されていたとはいえ、宿場を形成するだけの人口はなかったと思われます。

旧大笹街道を辿る場合、この広大な菅平の十ノ原地区を横断する道は、「真田町の街道とくらし」という教育委員会発行の調査報告によると、幅2間(約3.6メートル)、長さ2里22町余(*約10.25キロメートルあまり)とあります。

現在は植林されたカラマツの森林地帯となっているが、当時は吹きさらしの高原だったため、大木の目印が必要だったのでしょう。

(*1里=約3.9273キロメートルとして)


上・シナノキの花の図
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左・奥ダボスのシナの大木。視界の悪いときには何よりの道しるべとなる


見事な枝をのばす三本松


奥ダボスのゲレンデの斜面には、雪に埋もれた街道の目印となるシナの大木があり、そこを経由して振り子沢沿いに三本松に至ります。

三本松は菅平高原カントリークラブの正面に位置し、今でも見事な枝振りを見せています


三本松から次なる目印のシナの大木(現在のリスの森ペンション村の中央、旧青年講習所跡)を経て、一本松を目指します。

一本松から、大明神沢沿いを少し下り、標高1340mの大明神茶屋(瀧山不動尊付近)に至りますが、現在の道は藪に埋もれて良く分かりません。


旧青年講習所跡のシナノキ


今は草生して訪れる人もない瀧山不動尊には三十六童子の碑がヒッソリと並んでいます。


目印の一本松



上田から鳥居峠を経て群馬県に通ずる上州街道は、現在の菅平ダムの上あたりで分岐し、この大明神茶屋で大笹街道と合流したものと思われます。

大笹街道のこの道は、瀧山不動尊、峰の原の大谷不動尊、そして須坂の米子不動尊まで通ずる事から不動道と呼ばれていたそうです。

この三十六童子の石碑は、かつてはこの不動道(現在の牧場の中)にそって建立されていたそうです。


瀧山不動尊と三十六童子の石碑(クリック拡大)

一本松経由、幅2間余の大笹街道

後に開発が進んで散逸することを恐れた篤志家(地元の植木屋さんなど)がこの地に結集させて保存、現存するものは29基です。

この先の中ノ沢にも、標高1320m地点に、中ノ沢茶屋跡があるそうですが、場所は確認は出来ませんでした。

ここから先、大笹街道は大明神茶屋から中ノ沢茶屋、四阿高原、を横切り鳥居峠につながるはずなのですが、それを思わせる鳥居峠まで続く踏み分け道は発見出来ませんでした。


ひっそりと立つ三十六童子の石碑

もしかしたら、現在の菅平〜渋沢線(冬季閉鎖)の一部が昔の大笹街道筋だったのかもしれません。

新大笹街道(幕末の嘉永元年・1847年に土手道として開設された新道)の遺構である土手は、奥ダボスの菅平牧場を横切り、牧場と菅平高原ゴルフ場との境界となったり、牧場と十ノ原のカラマツ林の境界として残されたり、延々と鳥居峠まで続いているハズですが、その全てを確認することは出来ませんでした。

ただ、四阿高原ホテルから、四阿山へ登る登山道の途中には、土手道の跡と思われる菅平牧場との境界の土手があるので、新大笹街道がより短いルートを設定するため、かなり標高の高い所を通過した事は想像できます。