大笹街道解説
北国街道は、正しくは北国脇往還といい、中山道追分と北陸道高田を結ぶ三十五里(約140km)からなり、信州の東から北に抜ける主要道路です。

江戸時代には真田藩を始めとする信州の諸藩ばかりではなく、加賀の前田藩など北陸諸藩の参勤交代にも使用されました。

また関東と北陸の物資の輸送、佐渡の金山から江戸への金の輸送にも、関東から善光寺に参拝する旅人もこの道をたどりました。

しかし、表街道があれば裏街道もあるのがこの世の常。
北国街道には、須坂 ― 中軽井沢を最短で結ぶ大笹街道・沓掛街道というバイパス道路(?) があったのです。

大笹街道は、北国街道福島宿(ふくじまじゅく…現・須坂市)を起点とし、仁礼(須坂市)を経て、峰の原高原に登り、菅平高原を横断し、長野県と群馬県の県境の鳥居峠を越え、大笹(群馬県嬬恋村)へ至る街道で、今の国道406号線+144号線にほぼ添っています。

大笹から先は沓掛街道となり、浅間山山麓の、鬼押し出し、峰の茶屋、を経由して中山道の沓掛(現・中軽井沢)へとつながり、全長56kmの“大笹・沓掛バイパス”を形成していたのです。

須坂側の仁礼から

福島宿の家並み


群馬県に入ると仁礼道と呼ばれる




全図(約48kb)

大笹街道は「山道八里」と称し、峰の原高原、菅平高原を越える険しい道で、冬季は積雪吹雪のため通行不可能になる事が多かったのですが、福島宿から沓掛まで、二宿十四里(約56km)と、北国街道を経由する十宿二十一里(約84km)より短いため荷駄は専ら大笹経由で運ばれたとの事です。

なお、上野国(現・群馬県)での呼称は「仁礼道」と呼ばれていました。同じ道を、その目的地によって呼び替えるのも、興味深いところです。

明治になって、鉄道が広く敷設され、鉄道輸送や自動車輸送が主になるといつのまにか大笹街道はその存在すら忘れ去られてしまいました。