特別企画
その一
真田幸村 VS 宮本武蔵
今、剣豪・宮本武蔵が熱い!
2003年度の大河ドラマは「武蔵 MUSASHI」です。
ご存知大河小説の大家・吉川英治氏の名作「宮本武蔵」のドラマ化です。

武蔵こと新免武蔵の実像は、ほとんど判っていないそうです。
小説では、武蔵をとりまく本位田又八、お通、お杉婆などなど多彩な顔触れがドラマをもりたてていますが、これらは吉川氏の創作で実在の人物ではないそうです。
また、実在とされる沢庵和尚との交流も、小説ならではの虚構のようです。

ともあれ、生誕地が、美作(岡山県)なのか播磨(兵庫県)なのか、実像のほとんど伝わっていない武蔵をこれほどまでに生き生きと描いた吉川小説の「宮本武藏」。数年前から若い人たちの間で人気のコミック「バガボンド」の原作としても知られる、不朽の名作といえましょう。
バガボンド
「スラムダンク」などの人気コミックを描いた井上雄彦氏が青年雑誌に連載する漫画。バガボンドとは英語の放浪者(Vagabond)のことだそうです。

武蔵の年表などを見ていると、関ヶ原の役、大坂の役に参戦していることがわかります。

そこで、ふと、思うことが、われらが真田幸村との接点です。

真田幸村(信繁)のうまれた年が永禄10年(1567)、武蔵は天正12年(1584)とされていますので、17歳違いのほぼ同時代に生きた人物といえます。

小説・武蔵は、関ヶ原の役では又八とともに西軍(おそらくは宇喜多勢)の足軽として闘いました。

関ヶ原の役では、幸村も参陣していますが、これは信州上田での秀忠軍との闘いであって、武蔵との接触も、また同じ西軍同士なので闘うこともなかったものと思われます。

東軍家康の勝利のあと幸村は父昌幸とともに高野山に蟄居、武蔵も諸国遍歴の旅にでたようです。
このあたり、佐助たち十勇士の諸国探索とのからみも期待させますね。
武蔵のおもな足跡
1584 天正12 1歳 美作国宮本村にて誕生
1596 慶長元 13歳 兵法者有馬喜兵衛を倒す
1600 5 17歳 関ケ原の合戦 本位田又八とともに西軍として参戦
1601 6 18歳 故郷で杉に吊るされ、お通とともに出奔
1604 9 21歳 武蔵を名乗り諸国遍歴へ
1605 10 22歳 京の吉岡道場に乗り込む
1612 17 29歳 4月13日 巌流島の決闘 佐々木小次郎を倒す
1614 19 31歳 大坂冬の陣 西軍として参戦*
1615 20 32歳 大坂夏の陣 西軍として参戦*
(=元和元年5月7日・幸村、没)
1637 寛永14 54歳 島原の乱 養子の伊織とともに軍監として出陣
1640 17 57歳 熊本にて細川家の客分となる
1643 20 60歳 「五輪書」の執筆開始
1645 正保2 62歳 5月19日 武蔵、没

それから、14年の時がすぎ、大坂の豊臣方と関東徳川方との風雲急を告げる大坂の役前夜。幸村は豊臣秀頼に請われ、大坂入城、そして一方の武蔵も大坂城にはいったそうです。

これは、関ヶ原で敗走した西軍方の多くの浪人がそうしたように、武蔵もこの浪人たちに混じったと思われているのです。(当時は大将格の幸村とはちがい、武蔵はまだ無名でした)

ということは、武蔵が幸村の指揮の下
真田丸で共に闘ったのでは!?

という可能性もあるのです。
われらが幸村と剣聖武藏の共闘なんて、歴史ロマン派には堪えられません!

とはいうものの、吉川小説「宮本武藏」は、大坂の役の二年前、宿敵佐々木小次郎との巌流島での決闘で幕が閉じられ、大坂の役そのものは小説に描かれていません。

十勇士(幸村主従)と武蔵の接点ということで、ここに目を向けた作家に笹沢佐保氏がいます。
「真田十勇士 巻の三才蔵宮本武蔵を破る」では霧隠才蔵との闘いがあり、忍術を駆使した才蔵が武蔵を破っています。

さ〜て、さて、さて、さて!

ここまでは、巷間伝わる幸村と武蔵の物語から想像した接触ですが、近年、これらの武蔵ブームのなか、少ないながらも武蔵の実像を伝える文献が少しずつ発見されています。

その中に、武蔵の大坂参戦を裏付ける文献があります。
「水野勝成大坂陣人数覚」です。この中に、宮本武蔵の名があるのです。

水野勝成は、家康のいとこで、大坂の役の頃は、譜代大名でもあるので当然、関東方です。これは、同性同名の人物とする説もありますが、武藏東軍参戦の根拠とされている史料性の高い文献です。

水野勝成配下で闘った武蔵と、幸村の干戈(かんか)を交える可能性は、実に慶長20年(1615)5月7日、天王寺での闘いにおいてであります。家康本陣目指す赤備えの幸村隊と、迎え撃つ越前隊(松平忠直)、そして後方を固める勝成の軍勢。そこに武蔵がいます。

次回、この天王寺での闘いで幸村と武蔵の接点を探ってみたいと思います。

2003年3月初稿
4月改稿