神川紀行 その3
水車小屋を
守れ!

真田の里を流れる川には、神川(かんがわ)水系、洗馬川(せばがわ)水系、傍陽川(そえひがわ)水系と3つの水系が上げられます。

洗馬川は、曲尾地区で傍陽川に合流し、ビックリするくらいの水量で、千古温泉の前を流れてゆきます。

この傍陽川は四日市の外れで、神川に合流しますが、水量は傍陽川の方がはるかに多いのです。

神川は、遠く四阿山の山頂から流れ出し、菅平ダムで貯水されたにもかかわらず、ここにいたる水量が少ないのは、途中でたくさんの堰(せき)によって取水され、上田市の上水道や、農業用水として周囲に配分されているからなのです。

これらの河川は、過去、大水により幾多の災害をもたらすこともありましたが、このあたりの農業には欠くことの出来ない生命線でもありました。


合流直前の神川


合流地点の傍陽川
    菅平ダムの桜


    石舟にある上田市向けの浄水場

    取水堰

    吉田堰

農業用水路


とりわけ石舟から取水された吉田堰は真田だけでなく、上田の殿城区、東部町をへて、千曲川に注ぐ全長2里20町あまり(約10km)に及ぶ長大な用水路で、日照りの時などの、水争いの対象として郷土の歴史に記されています。(「真田町誌」参照)

また、吉田堰はその水量の多さから、子供が流される事が多かったと見えて“人取り川”とも呼ばれ、民話にも悲しい話をたくさん残しています。
(「さなだの民話・人取り川」P123参照)


たくさんの用水路はこの地方では堰(=せぎ、せんげ)と呼ばれ、日常の洗濯や洗い物にも使われていました。
たとえ子供がそこにオシッコをしても、“水は3尺流れれば、清めになる”と言って、下流では洗い物をしているという、おおらかなものでした。
現在では、道路拡張のためと、安全上の配慮から、ほとんどフタをかぶせられて雨水溝として使われています。

かつては、堰の流れを利用した水車小屋が、真田のあちこちの流れの脇に、たくさん設けられていました。

しかし現在では、大日向(おおひなた)に1ヶ所、朽ちて動かなくなった水車小屋を見るのみです。


せぎ(せんげ)


フタをされたせんげ(雨水溝)