真田紐(さなだ・ひも)
ひらたく組んだ木綿紐、真田昌幸が刀の柄をまくのに用いたところからの名という
――岩波書店の「広辞苑」より


 とあるが、調べてみるとどうもこれで正解というものではなさそうです。

真田紐とは、組み紐ではなく、主に木綿で織った幅の狭い縞模様のある平織り(平打ち)または袋織りの平らな紐の総称とするのが妥当と思われます。


柄巻きと下げ緒に真田紐が使われている

実際は足袋を履いた上に真田紐で縛っていた
 また組み紐と異なって伸びる事がなく丈夫なので、古くは刀の下げ緒・たすき・行商の荷紐・男の帯・はてはランプの芯など日常的に広く使われました。

 そして真田昌幸・幸村がついた西軍が関ヶ原の合戦に破れ、紀州の九度山に蟄居させられていたとき、農耕のかたわら内職で家臣にこの紐を組ませ、行商をさせて諸国の動静を探ったと云われています。

 近年まで長野県の小県地方で体育の授業で使用された(下駄スケート)を足にくくりつけるのにも使用されたので、団塊の世代あたりには記憶があるかもしれません。

 現代では陶器などの箱紐に使われるくらいで、材質も化学繊維も使用されているのは時代として当然かもしれません。

文献によれば、万葉集に
 いにしえの 狭織の帯をむすびたれ たれしのひとも きみにはまさじ

 とあることから、古くからあったものではあるが、(狭織=さおり)すなわち幅の狭い織物の語源が後生の真田びいきから転訛して(真田織り)と、なったのではないか・・・、刀は古くからあったわけで、そこに使われている柄巻きや下げ緒に使われていた紐が、何と云われていたか・・・と、推測されます。
 また、大阪落城後に真田の残党が現在の大阪府泉大津市や、岡山の倉敷市児島付近に移り住み、真田紐を織りつつ再起を図ったとの伝承もあり、この地域での近年までの真田紐の生産量の多さの裏付けとなっています。

実用価値を失った今では京都市・伊豆諸島・八重山諸島などで伝統工芸品としてわずかに織られているに過ぎません。

素朴な織機による手作りの真田紐 -----------------------写真提供・ゆたかや
腰機を使って真田織を織る新島の池田さん 素朴な織機による手作りの真田紐 ひらたく組んだ木綿紐、真田昌幸が刀の柄をまくのに用いた
●上田では(株)ゆたかや〔着物店〕にて販売しています。
    長野県上田市中央2−2−16
    TEL 0268−24−5298

●テクスピア大阪2Fにある「織編館」には真田紐の体系的な研究・展示がなされているそうです。
    TEL 0725−31−4455


ひらたく組んだ木綿紐、真田昌幸が刀の柄をまくのに用いた
左より「細・500円 中 ・1000円1300円(株)ゆたかやで販売

家康の死因は?
 真田幸村を天敵のようにおそれた家康の死因は胃ガンと言われているが、家康自身は死ぬまでサナダムシが寄生したと思い込んでいたといわれていますが。。。(歴史群像シリーズより)

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