姉妹都市
ダボスを訪ねて
その1



1. スイス・ダボスとの交流の歴史

菅平高原にスキーが入った記録があるのは、1923年(大正12年)とされています。

そして1930年3月、オーストリアのスキーの名手、ハンネス・シュナイダー(1890〜1955)が菅平高原をおとずれ、このドイツのシュワルツワルド(黒い森)に似ている高原の美しさを絶賛しました。

彼が日本で最初のシュプールを菅平に描いた事により、菅平は名実ともに日本を代表するスキー場となりました。

そして、ハンネス・シュナイダーを記念する塔(1961年1月)が建っているあたり一帯が、"日本ダボス"と呼ばれています。

ダボスの塔


ヤコブスホルン山頂



ダボス町役場



ダボス・プラッツ駅付近
この地がいつから"日本ダボス"と呼ばれるようになったか、定かではないが、1928年のアサヒグラフに、「日本ダボスと称されている、菅平新スキー場」との記述があるそうです。

1976年3月、菅平スキー場開設50周年を記念して、真田町の宮島町長(当時)とスイスのダボス町のヨスト町長が姉妹都市を締結し、その際にお互いに1平方メートルの土地を交換し合うことが提案され、1977年、菅平のダボスの丘に"ダボスの塔"が建てられました。

そして、スイスのダボスのヤコブスホルン山(2,590m)の山頂に"菅平の塔"が建てられたといいます。

以来、スイスのダボスとはお互いに、スキー・インストラクター、町の子供たち、町長・議員・先生などが親善使節団をもって交流を深めています。

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提携記念のカウベル